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 ――遙か昔のお伽話です。
 緑に包まれた美しい星に住む人々は、貧しいながらも自然と共存し、支え合って生きていました。
 しかし、機械文明の発達によって豊かになった人々は更なる繁栄を求め、いつしかエネルギー資源を巡って争いを始めてしまいます。
 嘆き、悲しみ、怒り……そんな感情に支配された人々の心は荒み、世界中から笑顔が消えてしまいました。
 笑顔無き人々と、大地に残された傷跡が戦いの凄絶さを物語っていました。
 それでも人々はこの戦を止めようとはしませんでした。もう不便で原始的な暮らしに戻る事は出来ないのです。
 そして戦いは激しさを極め、破壊され続けた大自然がとうとう人々に牙を剥きました。
 それは火山の噴火とも、大洪水とも、はたまた隕石の墜落ではないかとも言われています。
 人も、緑も、何もかもが猛威を振う大自然に飲み込まれました。
 かつて緑に包まれ、その美しさを輝かせていた星には、酷く荒廃した大地だけが広がっていました。
 これが、二世紀前に起きた悲劇の大災害なのです。


 二世紀前の大災害から現代に至るまで、この悲しいお伽話は大災害から生き残った人々によって受け継がれていた。
 そんな荒廃した世界で、白く輝く砂漠で深緑色の髪を揺らしながら、少女は一人歩く。
 果てが見えない砂漠を太陽がギラギラ照り付ける。ちかちかとした光は容赦なく少女の瞳を突き刺した。
 口の中に転がる砂の感触に、少女はその端整な眉を顰めながら、乾燥でひび割れた唇を噛み締める。
 粉をふいたように白い唇が切れて、鮮やかな血の粒が滴り落ちても、砂に吹かれ充血した目は鋭い眼光を宿したままだ。時折吹く砂の風に晒されても膝をつかず、前だけを見て歩き続ける姿に、少女の意志の強さが表れていた。
 荒涼とした風景が広がる砂の海で、空と大地を真っ二つに切り裂く遙か彼方にある地平線を目指して少女は一歩、また一歩と重たい足を進める。
 ただ一つのモノを探す為に、ただ一つの事を確かめたいが為に。
 不愉快な程青く澄み渡る空を仰ぎ見れば、少女が記憶の奥底に仕舞い込んだ昔日の思い出が止め処なく溢れ出した。

 少女の知るお伽話にはまだ続きがある。
 深夜になっても眠りたくないと駄々を捏ねる昔日の少女に、父はいつもお伽話を聞かせていた。
 この地に伝わるもう一つのお伽話。
 星のカケラと呼ばれる幻のものは無限の力を秘めており、人々の願いを叶えると言われていた。
 二、三世紀ほど前、原始的な暮らしの中で突如栄えた機械文明のエネルギー資源に利用されていたのが、実はこの星のカケラではないのだろうか。大災害を引き起こしたと言われている隕石の墜落は、実は大災害よりも更に昔の話で、その隕石の破片――星のカケラを巡って人々は争い、そして世界は大自然に飲み込まれたのではないか。
 冒険者でもあり、研究家でもあった父はお伽話を聞かせる当初の目的を忘れ、すっかり熱が入ってしまう。
「そんな不思議なモノ、きっと存在しないわ」
 クスクスと笑う少女の言葉を聞いた父は、まるで無邪気な少年のようにニッと笑いながら、懐の中から出した小瓶を見せる。
 まるで小さなランプのような淡い光を放つ小瓶が、少女のあどけない顔を照らした。
 綺麗だとはしゃぐ少女に、父は口の前に人差し指を立てながら「誰にも言ってはいけないよ」と小さく呟いた。
「ねえ、お父さん。この小瓶に入っているカケラが本当に願いを叶えてくれるの?」
「さあ、まだ分からないな。だからこそ、これからお父さんは暫く家を離れて、このカケラの研究をしに行くんだ」
 好奇心旺盛な少年のようにニカッと歯を見せて笑う父に、少女は大好きと言わんばかりに飛びつく。
 そして次の日に少女の父は星のカケラを持って、研究仲間と共に旅に出かけていった。
 それが、少女が見た父の最後の姿だった。
 異形の者や盗賊に襲われたのか、それとも何処かで行き倒れてしまったのか、父も、共に旅へ出た仲間達もついぞ帰って来なかった。
 一年、一年と時が過ぎる。
 少女の切なる願いは、静かな諦めへと変わらざるを得なかった。
 父が行方知れずになってしまった以来、一人で家を支えていた母はついに病で倒れてしまう。
「あなたが大人になるまで、育ててあげられなくてごめんなさい」
 少女は首を横に振りながら、母の瞳から流れる涙を優しい手付きで拭く。
 骨に皮だけがくっ付いている、すっかり痩せ細った母の手が少女の頬に添えられる。
 少女はぼやける視界の中、母の姿を最後まで目に焼き付けようと目を擦った。
「駄目よ、そんなに強く擦っちゃ」
 優しく咎めながら、母は暖かくて優しい指で少女の涙を拭おうとするが、力なく震える手では涙を拭う事さえままならない。
 少女は縋るように、頬に添えられた母の手に自分の手を重ねる。
「本当、お父さんに、そっくり……」
 閉じられた瞳から流れる涙は、母の痩けた頬を撫でるように滴り落ちていった。

 遠い昔の夢から覚めた少女は、自分が一面に広がる砂漠に倒れ込んでいる事に気付く。
 ――母の墓を立ててから、少女は父の遺志を継いで旅を始めた。 父が行方知れずになり、母が病死した全ての始まりとも言える星のカケラを求めて。
 それでも少女は星のカケラを憎んではいなかった。 あれは誇らしかった父の最後の研究だったのだ。
 本当に願いを叶えてくれるかも定かではないが、ただこの目でその存在を確かめたかった。
 行方知れずになった父との、たった一つの繋がりなのだ。
 砂が吹き荒れる。
 水はとうに無くなり、少女は動く力を失っていた。
 虚ろに彼方を映す少女の瞳に、何か揺れ動くものが見える。
 力を振り絞って、少女は吹き荒れる砂の中を這っていく。
 少女の瞳に映ったそれは、砂風に吹かれながらも懸命に生きようとする、砂漠に咲く一輪の紅紫色の花だった。
「あなたも、ひとりぼっちなのね」
 砂が口の中へ舞い込む事にも構わず、少女は声を振り絞って花へ問いかける。
「あなたに出会えてよかったわ、小さなお花さん。だってひとりぼっちは寂しいもの、せめて最後はふたりぼっちが良いわ」
 吹き荒れる砂は少女と花から力を奪っていく。
 そして、少女はまるで花を砂の風から守るように、両手で花を覆った。
「でも、私ね……まだ、生きていたい」
 ――まだ、生きていたい!
 声にならない叫びを涙に乗せて、涙は両手の間をすり抜けて花へ滴り落ちる。
 その瞬間、まばゆい光が花から放たれて少女を包み込んだ。

 思わず瞑ってしまった目を恐る恐る開けてみると、そこは一面ふわふわと雲のように浮かんでいる白色の世界だった。
 目の前に佇んでいる二人を見て、少女はハッと目を見開く。
 ――お父さん! お母さん!
 そう叫んで、その胸の中に飛び込もうとするが、少女は喉から声を出す事も、身体を動かす事も出来なかった。
 昔日の父と母は変わらぬ笑みを少女に向けている。
 そして、父は少女に全てを語り始めた。
 父の旅は当初順調に進んでいた。
 しかし、ある日異形の者に襲われ、ある者は命を落とし、ある者は命辛々逃げ延びた。
 吹き荒れる砂嵐と襲いかかる異形の者のせいで、仲間達は全員散り散りになってしまった。
 異形の者に負わされた傷は思いの外深く、体力が尽きた父は砂漠に倒れ込んでしまう。
 逃げる途中で、重い荷物は全て捨てていった。
 もう水も、食料も、何もかも残されていなかった。
 懐にある小瓶を除いては。
「私はもう死ぬのだと思った。そして唯一の希望である小瓶の中身に、息絶えるまでずっと祈り続けていた。どうか家族を守って欲しいと、この星のカケラに願ったんだ」
 そう語りながら、父は目線を落とす。
 父の見つめる先、少女と両親の間には先ほどの紅紫色の花が誇らしく咲いていた。
 やがて花は淡い光に包まれ、光はふわふわと舞うように浮かび上がる。
 少女の目の前で光が弾けると、星のカケラの入った小瓶が現れた。
「娘よ、世界は美しい。例え大地が荒廃し、人々の心が貧しく荒んでいても、悲しみに包まれていても、それでも懸命に生きようとするこの世界は美しかった」
「私達が生きられなかった分まで、どうかこの美しい世界で、自由に生きて」
 二人の声と共に白色の世界が光に包まれ、父と母の姿が遠ざかっていく。
「さあ、あなたの居るべき世界に帰りなさい。私達の愛する娘よ、あなたの旅路に幸多からん事を」
 光に包まれて消えゆく世界で、少女が最後に聞こえていたのは父と母の慈しむような声だった。
 ――ありがとう……お父さん、お母さん。大好きよ。

 少女が再び目覚めた時、その目の前にはオアシスの泉があった。
 吹き荒れる砂もない、静かな水面に少女の姿が映り込んでいる。
「あれは夢だったのかしら……?」
 そう少女が呟いた時、右手の違和感に気が付く。
 握りしめていた右手を開けば、星のカケラの入った小瓶が手のひらで淡い光を放っていた。
 紛れもなく、あの不思議な体験が真実であると少女に強く告げているようだ。
 そしてまるで役目を終えたかのように、小瓶はひび割れてしまう。
 星のカケラから光が失われ、細い砂となって風に乗って消えてゆく。
 深緑の髪をふわりと撫でるようにそよぐ風は、まるで少女の新たなる旅立ちを祝福をしているようだった。

 

 

文章/ 九条朔良

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