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 月灯りの照らす砂漠。

 男の子は夜空を見上げて立ち竦んでいた。

 真っ赤な頭。黒光りする尖った顎。幾百にも及ぶ脚が蠢いて、巨大なムカデは男の子を捕食しようと首をもたげていた。

「あぶない!」

 男の子に巨大な顎が迫った瞬間。脚の隙間を縫うように駆け付ける影があった。影は叫んで男の子を抱きかかえた。鋭く交差する顎を躱して影は飛ぶ。

 爆音が鳴り、星空を掻き消すまでの砂塵が巻き上がった。地響きは暴風を呼んで、影と男の子に襲いかかる。獲物を探すムカデの眼は男の子の姿を見失った。

 影みたく動いて男の子を助けたのは一人の少女だった。山羊のような角を頭に生やす少女は男の子を立たせて、両肩に手を置いた。

「聞いて。ここから動いたらダメ。泣いてもダメ。あれは音に敏感だから」

 身を捩らせて暴れるムカデを横目に少女は告げる。

 今はまだ砂煙に紛れて位置を悟られてはいない。ムカデは目標を見失い怒り狂っている。倒すなら絶好の機会だと少女は奥歯に力を込めた。

「分かった? 動かないこと。できる?」

 繰り返される注意に男の子は頷くしかなかった。少女に助けられなければ死んでいただろうという自覚は持っていた。

 少女は「よし」と小さく呟いて姿を霞ませる。夜を貫く光線さながら一直線に少女はムカデに向かった。赤いスカートをはためかせて遥か高く、ムカデを飛び越えるように飛び跳ねた。眼下に標的を収めて少女は拳を握る。一呼吸置いてから、少女は自身の何倍もあろうムカデの頭部を殴った。地面に叩きつけるように真上から真下に拳を振り下ろした。

「やっぱり硬いなあ」

 砂塵に沈むムカデを空中で眺めて少女は拳を擦る。

 貫通はしなかった。大きく凹ませたに過ぎない。あれでは更に怒りを増幅させるだけだ。

 重力に身を任せて少女はくるりと回転する。そのまま、くるりくるりと回って地上への推進力を増していく。今度こそ仕留めるべく、もう一度拳を強く握った。

 大きく振りかぶってから、少女は渾身の一撃をムカデに与える。轟音を伴う打撃は弓矢のようにムカデの頭を地中深くまでに潜らせた。

 空気を震撼させて、豪雨のごとく砂粒が降る。大きなクレータからはムカデの下半身だけが空に伸びていた。ついに動かなくなった幾百の脚を眺めてから少女は満足そうに笑って、男の子の元に戻った。

「よく頑張ったね。偉い偉い」と頭に手を乗せた。

 男の子は唇を噛んで泣くのを堪えていた。シャツの裾を両手で握って、少女が頭を撫でても懸命に泣くまいと我慢していた。

「もう大丈夫だから」

 やれやれと少女は男の子を胸に抱き寄せた。

 ずっと耐えていたのだろう。目を瞑らせる砂嵐にも、耳をつんざく轟音にも耐えて、感情を抑えていたに違いない。

 少女の上着に顔を埋めて、男の子は初めて泣いた。嗚咽を漏らして少女にしがみつく。

「どうして、こんな所に一人でいたの?」

 泣き止んでから少女は尋ねた。男の子は目を腫らせて、涙の跡を頬に残していた。

「ほしの……」

「ほしの?」

「星のカケラが欲しくて」

 抱きついたままの男の子の返答に、なるほどと少女は溜息をつく。

 星のカケラは誰もが欲しくて堪らない代物だ。それは数世紀前に人類が保管していた記録媒体であり、大災害前の惑星の姿を垣間見える唯一の手がかりでもある。色や形は様々で記録されている内容も千差万別だ。

「何のために探していたの?」

「星のカケラがあれば、沢山お金を貰えるって友達が言ってた」

「なるほどね」

 情報には価値がある。技術に関する情報なら生活の向上にそのまま直結する。人類は我先にと星のカケラを欲して、血生臭い戦いを続けているのだ。要塞のように高い塀に囲まれた街では争いが絶えない。過去の繁栄を取り戻すべく、僅かに残った人類は死闘を重ねていた。

 きっと男の子は星のカケラを探すために街を抜け出したのだろう。友達の言葉に触発されて星のカケラを手に入れたいと望んだのだ。ところが方向感覚を失い、街に帰れなくなり、路頭に迷ったところでムカデに見つかってしまった。

「とりあえず……もう大丈夫だから」

 男の子は未だに少女にしがみついていた。腕に力を込めて少女を離そうとはしない。

「君は私が怖くないの?」と少女は訊いた。

 頭には灰色の角も生えている。姿形は少女であっても、その筋力は人間とは比べ物にはならない。突然変異を経たムカデ程度なら一撃で屠れるのだ。

「……お姉ちゃんは異形なの?」

 男の子は恐る恐る少女の顔を伺った。

「そうなるかな。色々混ざってるからね」

 申し訳なさそうに少女は頬を綻ばせる。世代を辿れば人間の祖先もいる。しかし異形の祖先も存在するのだ。純粋な人間ではない。混ざって適応して、角の生えた人間として生を受けた。

「怖いけど……怖くない」

 勇気を振り絞って男の子は声を出した。率直で偽りのない返答だった。男の子のうちに渦巻く複雑な感情を読み取って少女は肩を揺らして笑った。

「そうだよね。大丈夫だよ。お母さんの所にもちゃんと連れてってあげるから」

 本音を言えば少女が怖いのだろう。角の生えた人間に遭遇した経験はないはずだ。異形と人間とでは相容れない関係にある。

 少女は目線を合わせるようにしゃがんでみせた。それからにやりと笑って男の子を反対に回した。そのまま足を伸ばして座り、膝上に男の子を乗せる。

「ほら見てごらん。ここは街の中と違って星が綺麗なんだから」

 夜空を仰いでから少女は指を差した。

 どうか、この星を嫌いにならないで欲しいと少女は願う。

 人類同士の争いが終わる気配はない。人類と異形との間には確執もある。一歩外に出れば危険は溢れている。それでも希望はあるはずだ。いつかは誰もが互いに手を取って、美しい星に住めるのではないだろうかと少女は未来を思い描く。

「今度は一人で外に出ちゃダメだよ?」

 男の子を発見できたのは偶然の産物だ。二度目はないだろう。

「でも……」

 言葉を濁す男の子に少女は鞄から金属片を取りだした。

「これを上げるから」と背中越しに手渡す。

「これって?」

「星のカケラだよ。小さいけどね」

「いいの!?」

 男の子はがばりと振り返った。信じられない物を見るかのようにカケラを瞳に映して、声を弾ませた。

「うん。いいよ」

「大切なものじゃないの?」

「もちろん、大切なものだよ。それを探すのも苦労したんだから」

「じゃあ何でくれるの?」

「あげないと、君はまた探しに出かけそうだからね」

 皆が平和に生きるために星のカケラを集めているのだ。星のカケラのために命を落としては意味がない。少女は優しく微笑んだ。

「お姉ちゃんはどうして星のかけらを探しているの?」

 男の子は不思議そうに疑問を口にした。

「私はね、緑を探しているんだよ」

「緑って何?」

「こんな色のこと。見たことある?」

 少女は長く伸びた髪を男の子に見せた。毛先を束ねて、えいえいと頬をくすぐった。

「知ってる。草の色だよね」

「草の色って……」

 がくりと少女は頭を垂らした。

 緑色は珍しい。この惑星は煤けた茶色ばかりだ。荒れた砂の大地が無限に広がって、樹木も花を咲かせる植物も絶滅してしまった。人類の生活する居住地域に、ほんの僅かな草が生えているに過ぎない。

「でも、僕はこの色好きだよ。優しい感じがする」

 男の子は少女の髪を手に取って満月に透かしてみせた。

「ほんとに?」

「うん。綺麗だと思う」

 感慨深く髪を眺める男の子に少女は嬉しくて恥ずかしくなった。後ろから強く抱きしめたい衝動を抑えて、男の子の頭に顎を乗せる。

「ふふーん。君は良い男になるかもね。ふふふ」

「けど、緑を探すってどういう意味?」

「これはね、草を含めた植物の色なんだよ。だから私は植物を探しているの。昔、この星は植物に覆われていて、とても美しい星だったんだから」

 あの大災害以前、この惑星には多種多様な植物が満ちていた。樹木は空に向かってそびえ、草花は地面を賑やかせて生き物たちの糧になっていた。星のカケラが映した世界は息を呑むまでに美しかったのを少女は覚えている。

「植物って?」

「草みたいに、動かないけど生きてるものかな。綺麗で強くて美味しいんだから」

 かつての生物は植物の恩恵に与っていた。住処も、食物も、生物は皆一様に植物に頼っていたのだ。あの頃に生まれていればと少女は時々考える。

「凄い。僕も見てみたい」

「それには星のカケラを集めないと」

 表情を厳しくして少女は星空を見上げる。

 未だ旅の途中なのだ。もっともっと星のカケラを集めなければいけない。しかも植物に関する情報となれば、更に選り分ける必要もある。機械の設計図などいらない。兵器の使用方法もいらない。失われた技術にも興味はない。少女が渇望するのはただ一つ。もう一度、植物を甦らせるための方法だけだ。

「僕も手伝えるかな」と男の子は瞳をきらきらさせる。立ちはだかる壁も、果てしない道のりも知りはしないのだろう。ただ無邪気な表情で冒険心に燃えている。

 眩しくて懐かしい感情が少女の内に沸き立った。小さい頃の自分を重ねて思い出す。

「もっと強くならないとね」

 自分に言い聞かせるように少女は立つ。ムカデ程度で手こずってはいられない。旅を続ければもっと恐ろしいイキモノに出くわすだろう。

「もっとって、どのくらい?」と尋ねる男の子に、

「さっきのを倒せるくらいかな」と少女は応える。

「さっきの……」

 男の子は少女の影に隠れて、ムカデの死骸を覗いた。

 家よりも大きなムカデに「もしもだけど」と声を籠らせる。

「もしも……僕が強くなったら、一緒に旅してくれる?」

 握る手を強くして男の子は訊いた。

「もちろん」

 少女は微笑んで歩き出す。

 

 それは美しい星を夢見る少女の物語。

 月夜の砂漠に足跡を残して、今日も少女は星のカケラを探す。

 

 

 

   文/ナツキ

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